あれだけ暑かった夏が嘘のように、やっぱり冬がやって来た日本。何だか快適な春と秋がなくなって、夏と冬だけが繰り返される国になりつつあるようにも感じるが、それでも季節の変化は明確だ。
それに対してシンガポールは赤道直下。今年8月にこちらに赴任したある家族は、東京に比べた当地の涼しさに驚いたという。その通りで、太陽が北回帰線あたりで折り返している夏は、当地が最も涼しめな時期なのだ。といっても「夜になると若干ひんやりした風が吹くこともある」という程度で、気温が29℃から32℃あたりを行き来している状況に通年余り変わりはないのだが、35℃だ40℃だといった酷暑が訪れることはない。逆に日本に秋風が吹くころ当地では、太陽が頭の真上に戻ってくるので、気温はともかく陽射しは日に日に強まってくる。クリスマスイルミネーションのシーズンともなれば、街中が白や青のLEDの洪水のようになるが(赤や黄の暖色系は暑苦しさが増すので余り使われない)、気候は10年1日のごとく夏のままなので、何とも妙な感じだ。正月もまったく正月という感じがしない。
以上は地球の構造上当たり前の話なのだが、当地で実際に経験してみるまでは、多年の国内生活で頭と体に染み付いた「秋は涼しい」という期待を、なかなか捨て去れなかった。現地に身を置き、テレビやネットを見る際には使わない肌感覚や嗅覚をも駆使して、先入観に反する多様な現実を感じ取ること。その重要さを改めて思う。
とはいえ海外に気軽に住めるものではない。せめて海外旅行にだけでも、極力腰軽く出かけたい。ということでこの秋には、週末を利用し短時間ながら現地の最新状況も確認してきた。その結果も踏まえ、シンガポールの観光地としての力を論じてみよう。
できることから順に手を付けた観光客誘致戦略
海外旅行(ビジネス含む)でシンガポールに来る外国人は年間1千万人を越えており、人口(定住外国人含む)の2倍以上になる。東京23区程度の面積なのに、日本全体を訪れる外国人の数(08年850万人)を大きく上回る水準だ。仮に彼らが平均4日間滞在したとすると、定住人口を2~3%押し上げたのと同等の効果がある。滞在中の消費額はホテル代含めれば住民よりも高いだろうから、経済への寄与はさらに大きい。
だが、初回に書いたとおり当地は、国際観光地を目指すのにはずいぶんと不利な位置にある。香港に4時間弱、上海までは5時間強、日本や韓国には6~8時間と、世界で一番人口の多い東アジアの重心からは遠く南に離れているのだ。インド各地へは4~6時間、オーストラリアのシドニーまでは8時間弱、西欧へは13~14時間、北米へは丸1日もかかる。
観光資源はどうか。ライバルの香港は、複雑な地形の賜物である百万ドルの夜景や、本場の広東料理という決め手を持っている。対して当地は、地形が平板でこれといった絶景スポットがない。都市が形成され始めてからまだ百数十年と歴史も短く、勃興期に造られた味わいある町並みも大方は高層ビル群に置き換わってしまった。飲食店は日本や香港に比べれば安いが味も値段なりで、正直申し上げて世界のグルメに選ばれる町とは言えない。逆に量と安さを追求するなら、マレーシアやタイやインドネシアの方がよほどコストパフォーマンスが高い。通年気候が同じなので、花鳥風月の四季折々の変化を売り物にリピーターを確保することもできない。
にもかかわらずこれだけの集客を達成できているのは、(毎回同じことを書いてしまっているのだが)当地関係者の徹底的に戦略的な努力の賜物だ。「戦略的な」というのはつまり、己の置かれた条件を直視し、できることを絞って、実際に経済効果が出るような施策を実施しているということである。
東南アジアの航空ハブであるチャンギ国際空港には、年間2千万人以上の乗継客(トランジット客)がある。彼らを半日でも市内観光に誘導し、できれば1泊させたい。これが最初の戦略目標だった。そこで、都心の高層ビル群を望む絶好の撮影ポイントに「マーライオン」の像を建て、旭山動物園のお手本となったシンガポール動物園、世界初の夜行性動物園・ナイトサファリ、巨大なバードパーク、世界最大の観覧車(ちなみに日本製)など、立ち寄り型の観光施設を順に整備して行った。シティリゾート型のホテルや、世界のブランドが買えるショッピングセンターも続々開業させた。空港の出入国手続きを迅速化し、空港と各所を格安で結ぶシャトルバスを走らせ、市街地の外れにはクルーズ船の発着基地も設けた。後者は地下鉄駅とも直結され、東南アジアを周遊する豪華客船が入れ替わり立ち代わり停泊している。
ちなみにマーライオンは俗に「世界三大ガッカリ名所」の一つと言われるが(他の二つはコペンハーゲンの人魚姫の像と、ブリュッセルの小便小僧の像)、金融街の高層ビル群を背に水を吐き続けるその姿にはなかなかのオーラがあり、訪れた人の評判はまったく悪くない。表情には元祖「ゆるキャラ」とも言える愛嬌もあって、特に日本女性には人気だ。口の中に入っているのは栗本鉄工所製の消防車用の放水銃であり、故障がちだった欧米製をこれに替えてから、水が止まることはなくなったという。「ハイテクものづくりの日本、ソフトのシンガポール」の対比を感じさせる話である。
実は北東アジアの航空ハブである成田空港にも、シンガポール・チャンギ空港と同水準の年間2千万人以上の乗継客がある。中国や東南アジア各地と北米などを行き来する客が、日本人の気付かないところで大量に成田を経由しているのだ。しかし彼らが、乗り継ぎの合間に成田山新勝寺なり銀座なりに立ち寄るという流れは生じていない。そもそも成田空港の入国審査ゲートを見ると、約半分を占める日本人向けがスイスイ流れているのに対して、外国人向けの前には長蛇の列ができていることも多い。それでも世界各地の空港の中では明らかにスムーズでフレンドリーな部類には入ると思うが、チャンギ空港の入国のしやすさには遠く及ばないだろう。なにせ3つのターミナルごとに10列ほどある審査ゲートのうち、シンガポール人&居住外国人専用は1ラインだけで、列というものができていることがほとんどない。この構えを見ても、外国人様大歓迎! という国の姿勢が明確に見て取れる。
滞在客増加とリピーター確保に向けた次の手
さて、立ち寄り客や1泊客を増やした次は、当然ながら、「1泊で帰ってしまう客に次回は数泊してもらおう」という滞在日数増加と、「一度来た客にもう一度来てもらおう」というリピーター確保が戦略目標となる。「観光客の消費を増やして経済を活性化させる」という観点からは当たり前のことだが、この点日本の観光地では、何でもいいから「入込客数」さえ増え続ければいいのだと格安のイベントばかりを連発し、経済効果がまったく生じていないというような例が目立つ。戦術論が大好きな分「何がそもそもの目標だったのか」を見失いがちな日本と、何を目指しているのかが明確でブレがないシンガポールとの対比が、ここにもある。
それはともかく、通り一遍の名所は一度行けば十分、それだけではリピーター確保は不可能だ。そこで考えたのが、たとえば一昨年から秋に開催されているF1レース。固定ファンをリピートさせるための典型的な戦術と言えるだろう。実際にも、サーキットではなく街路を猛スピードで走るというコース設定はスリル満点だ。あるいはコンベンションの誘致。熱帯果実・ドリアンの形をしたコンベンションホールと、周囲に林立する高級ホテル&ショッピングセンター群は、出来て十年余りのうちに様々な国際会議の開催地として定着した。
それらの効果もそろそろ一巡してきたのに対し、次に打たれた手がカジノの誘致。今年になってカジノ付きの大型リゾートが2箇所で開業したのをご存知の方も多いだろう。マレーシア資本による方は東南アジア初の本格的な遊園地と言えるユニバーサルスタジオ・シンガポールを擁し、アメリカ資本による方は市街地一望のプール付き空中庭園や大型コンベンションホール、蓮の花を模した奇抜なデザインの劇場を売り物としている。それぞれが数千億円ずつの巨大投資だが、当地政府は用地を確保し定期借地権をコンペ入札にかけ、一番経済効果の高そうなプランを選んだだけ。極めてコストパフォーマンスの高い外資活用といえるだろう。
筆者などは、「シンガポールにカジノは似合うのか?」と懐疑的だったのだが、実際に開業してみるとその繁盛振りに認識不足を痛感せざるを得なかった。そもそもカジノはそれぞれの施設のごく一部であり、賭け事をまったくしなくともリゾートとして十分に楽しめる中身と、空間構成の新鮮さがある。加えてカジノが大盛況なのにも驚いた。ただこちらはどうも、生来バクチ好きな当地の中華系住民が殺到しているようだ。実は国民や永住権者は、カジノに入場するだけで毎回100ドル(6千円強)を払うか、あるいは千ドル(6万円強)もする年間パスポートを買わねばならない。これは「国民の堕落防止」という趣旨らしいのだが(外国人は幾ら堕落してもいいわけで、外国のパスポートを持参すれば入場はタダ)、実際行ってみると近所のおじいさんのような感じの人たちが引きもきらず押しかけてきていて、平然と高額の入場料を払い、さあ取り返してやるぞとばかりに眼をギラギラさせて鉄火場に身を投じているではないか。もし日本でパチンコ屋が入場料を取ったら、誰が打ちに行くだろうか。このあたりには、中華系と日本人系の性格の差を感じざるを得ない。
それはともかく、今回もシンガポールを褒めちぎってしまった。だが考えてみたい。以上を読んであなたはシンガポールに来たくなっただろうか? 視察ではなく、気楽な観光旅行に。一度は行ってみてもいいという方は多いだろうが、何度も足を運ぶ気にはなるだろうか。
国際観光地間競争の決め手は地産地消の徹底
その通り。以上のようなことだけでは、日本人を、特に(オジサマはともかく)一番お金を持っている感性豊かな女性客を魅きつけることは難しい。事実ここ数年、シンガポールを訪れる日本人(ビジネス客含む)は、年間60万人の手前で頭打ちだ。カジノリジートの開業は少々この数字を押し上げるかもしれないが、カジノだけならよほど近い韓国にもマカオにもあるわけで、定常的な底上げは難しいだろう。
反対に04年の9万人から08年の17万人へと倍増の勢いだったのが、日本を訪問するシンガポール人なのである。まだ両者には3倍以上の開きがあるが、国の人口が25倍も違うことを考えれば、この日本訪問熱はただごとではない。
特に北海道は、京都や大阪はもちろん、東京よりもずっと有名な憧れの場所だ。東北や九州、中四国などに先んじた陰には、かつて当地に駐在した若手道庁職員たちの尋常ならざるプロモーション努力や、当地に根ざした日系旅行社の送客努力がある。結果、有力政治家からOL、タクシー運転手に至るまで、直通便もない日本の北の果てに通いこんでいる当地人は少なくない。
彼らに聞けば返ってくる日本の魅力とは、観光施設でも高層ビル群でも名所旧跡でもない。新鮮な山海の幸に各種スイーツ。冬の雪に、四季折々の花(とりわけ桜)に温泉。店やホテルでの迅速で洗練されたサービスを挙げる女性も多い。つまり、日本の気候風土や日本人の気質に根ざした、日本でしか味わえない「生活文化」が、当地人を日本へのリピーターにさせている。日本の本当の観光資源は、「地産地消」の楽しさなのだ。
シンガポールに赴任していた昨年度一年間、日本から何組もの訪問客をお迎えした。皆様に明るい南国の風光を楽しんでいただけたが、帰りに一様に困ることがあった。手頃な土産がないのだ。ショッピングセンターと見まがうチャンギ空港内の広大な商業空間にも、市内の繁華街にも、シンガポールの「地産地消」と言える品はほとんどない。世界のどこでも売っているスイスチョコレートだのハワイ産のナッツだのには、日本人の手は出ない。かろうじて「マーライオンクッキー」などには当地で製造されたものもあるが、そもそも小麦粉もバターも当地では生産されていないものだ。
それでは、シンガポールでしか味わえない「生活文化」はないのだろうか。実は非常に強固に存在している。そもそも一度当地で暮らした日本人が、帰国後にも一家で遊びに戻ってくる率は高い。安全で緑あふれる街での、職住接近の生活が忘れ難いからだ。水辺のオープンカフェや屋台でゆったり食事し、イルミネーション溢れる街路でウィンドウショッピングを楽しみ、海辺や高台の公園で煌く夜景を堪能する。当地では当たり前でもなかなか他国では味わえない、気楽でゆとりある都市型生活こそ本当の国際観光資源なのだが、そこが気付かれていない。
日本各地とて同じだ。千歳空港や那覇空港の土産物売場を埋めている手作りの地産地消品も、外国人の多い成田や関空、東京駅や京都駅ではほとんど見かけない。もう20年も前の日本人団体客全盛期から、未だに意識が変わっていないのか。地域独自の生活文化の商品化と地産地消の徹底に、国際観光地間競争の行方はかかっているのだが。
筆者のお薦めする、シンガポールの隠れた名所ベスト5
当初、「気楽な見聞記を書いて欲しい」と頼まれて始めたこの連載なのだが、過去4回はマジメな論述だけで終わってしまった感もある。5回目となった今回くらいは、少々軽い気分で付録も書いておこう。1年間隅々を見て回った経験を踏まえ、シンガポールにしかない、シンガポールだからこそ(気楽に)味わえる、当地独自の「生活文化」も感じられる、隠れた名所ベスト5の紹介だ。普通の観光客が行くことはまずなく、通常のガイドブックには載っていないものも多いので、位置などの詳細はネット情報などを参照されたい。
第5位: チョンバールー団地とチョンバールー市場 (Tiong Bahru Market)
戦前に開発されたシンガポール最古の集合住宅地区で、アールデコ調の低層(3階建)の長屋が100棟以上残る。設計にはゆとりがあり、建物の間の緑地が目に眩しい。多くはリニューアルされ、現在でも住宅として使われている棟もあれば、商店街となっている棟、リンクホテル(Link Hotel)というデザイナーズホテルに改築された棟もある。このリンクホテルは、綺麗でエコノミーなホテルとしてお薦めでもある。2つの地下鉄駅(Outram Park と Tiong Bahru)の狭間にあるので鉄道利用になれた日本人には避けられがちだが、バスは便利で、タクシーが初乗り200円台と格安の当地では、まったく不便さは感じない。
地区の中央には、チョンバールー市場がある。1階がアジアを感じさせる生鮮市場(肉の塊や新鮮な野菜果物が豊富に売られている)、2階はおいしい店が多いので有名な屋台街(フードコート)。シンガポールの屋台は保健当局によって厳格に統制されており、衛生検査の結果によってA~Dの札を店頭に掲示することが義務付けられている。AはもちろんBでも日本の普通の飲食店よりは清潔であり、Cあたりでも食中毒になることはないので(Dの利用となるとさすがに余りお勧めできないらしいが、そもそもほとんどそういう店を見ない)、安心して格安の屋台料理食べ歩きが楽しめる。
一帯に、昔の住宅開発ならではのレトロな良さがふんだんに漂っており、まちづくりの関係者なら必見と言えるポイントだが、そうではなくても街歩きが好きな普通の人なら必ず印象に残る場所となるだろう。
第4位: センバワン温泉 (Senbawang Hot Spring)
安定地盤の上にあって、有史以来大地震が記録されたことがないと聞くシンガポール。火山がないので、最高地点でも標高150m以下だ。しかし実は、センバワン温泉という正真正銘の温泉が存在する。筆者は「地下に埋められたゴミでも発熱して湯が沸いたのではないか」と失礼なことを考えていたのだが、実際に行ってみたら、かすかに硫黄臭のする熱々の湯だった。日本で言えば「単純硫黄泉」に分類される、恐らく弱アルカリ性の、肌触りの良い泉質だ。
とはいっても、日々暑い気候で浴槽に入浴する習慣のないシンガポール。家庭にも一般のホテルにも普通にあるのはシャワーブースだけというお国柄なので、せっかくのセンバワン温泉にも浴槽はない。ひねれば天然の湯が迸る蛇口が並んだ、小学校校庭の足洗い場のような施設と、誰かが持ち込んで共用になっているたくさんのポリバケツ、それにプラスチックの椅子だけが並んでいる。最近日本でも普通になった「足湯」というわけだ。
場所は島の北東部の軍事施設の用地の一角で、駐車場はなく、足は地下鉄南北線のセンバワン駅から数分のタクシーだけ(地元事情に詳しければバスも便利)。目立つような看板もないが、幹線道路から両側を有刺鉄線に挟まれた狭い歩行者専用の通路を100mほど中に入っていくと、木が繁った小さな広場になっていて、そこに数十人ほどの地元住民が思い思いにたむろし、バケツに満たした湯に足を浸けて、おしゃべりにふけっている。軍事施設の用地の中だけに周りは有刺鉄線に囲まれているが、何ともユルい、のんびりした雰囲気だ。当地在住の日本人も結構来るらしく、筆者が家族で行ったときにも中華系の先客の皆さん方が、椅子を勧めてくれたり、湯のぬるめ方を教えてくれたり、いろいろ世話を焼いてくれた。
湯は熱いので、バケツからバケツに何度も移し変えて冷まさないとなかなか足を浸けることはできない。だが一度ぬるくなれば、後は適宜熱いのを足すことで適温を維持でき、いつまでも座っていられる。10分も浸していれば全身がぽかぽかになる。もともと暑いところでそんなことをするのはどうかと思われるかもしれないが、木陰では常時そよ風が吹いているシンガポール、たいへんに快適だ。
東南アジア広しといえど恐らく他所では味わえない本物の温泉。温泉好きの人であれば話のタネに、数時間を割いて行って見るのも悪くはない。
第3位: ユーラシア大陸最南端(=マレー半島最南端)の地
これはシンガポール国内ではなくお隣のマレーシアにあるのだが、最寄の国際空港はもちろんシンガポール・チャンギとなる。
ユーラシア大陸の端ということになれば、最西端のポルトガル・ロカ岬や、最北端ということになっているノルウェーのノールカップ(実際はここは小さな島の北端で大陸最北端ではないのだが、本当の最北端は人跡未踏で行けない)は、国際的名所になっている。ところがこの最南端は、チャンギ国際空港から2~3時間で行ける場所にありながら、なぜかまったく注目されていない。シンガポール在住の日本人でも存在を認識している人はほとんどいないだろう。確かに、最南端といってもさらに南にシンガポール(大陸ではなくその南の島)の工場地帯が見えるので、最果て感には欠ける。だが、記念碑もあるし、一帯は自然公園になっていて野性のサルの群れにも会える。
交通手段はレンタカーしかない。誰かシンガポールからのツアーを設定していても良さそうなものだが、聞いたことはない。チャンギ空港でAVISかHertzを借り、その際に「マレーシアに行く」と申告して保険料を上乗せで払う。それでも日本で借りる程度の金額だ。高速道路を西に行って、国の西端にある橋(Second Link)を渡ってマレーシアに入る。ビサなどは不要。車に乗ったまま国境の審査を受けるのも一興だ。途中で高速を降り、売っている地図が非常にいいかげんなので迷いやすいのではあるが一度半島西の海岸に出て、そこから海岸沿いを南下する。まっすぐ行くと、シーフードレストランが集積した村で道が行き止まりになるが、そこまで行ったら1km少々行き過ぎだ。ちょっと戻って、南東方向に(斜め右に鋭角に)分岐する狭めの2車線路に入る。あとは直感でどんどん南に進んでいけば、10分ほどの紆余曲折のドライブの末に小さな駐車場に行き着く。入場ゲートで料金を支払い、見事なマングローブ林の中の木道を5分少々歩けば、最南端記念碑だ。お菓子などを持っていると、小さいがすばしっこいサルどもが組織戦を仕掛けてくるので、注意されたい。Southernmost Point of Eurasian Continent (ユーラシア大陸最南端の地)と書かれているが、岬の名前は判然としない。
筆者は先端的な物好きなので、初回に書いた通りシンガポール島の東西南北端にジョギングで行ってみたり、九州や四国の最北端だの、あるいは本州や北海道の最西端だの、まったく注目されていない場所にも自転車で出向いたことがある。しかしここはそれらとは比較にならないくらい本来メジャーなはずのポイントで、かつそれらと同じくらいに目立たないレア名所ということであるから、九州や四国の最北端にはまったく興味が湧かない常識人であっても、ぜひ一度くらいは足を向けていただきたいものだ。
第2位: マックリッチー自然保護区 (McRitchee Nature Reserve)
シンガポールの他の追随を許さない特色とは何か? それは、超近代的な市街地から車で10分の島の真ん中に自然保護区があって、熱帯雨林が残されていることだ。サルの群れはもちろん、特別天然記念物級の珍獣・ヒヨケザルや、ドブネズミほどの大きさの世界最小の鹿・マネジカも生息している。もちろん保護区は、ボルネオやスマトラのジャングルに比べればほんの爪の先ほどの面積でしかない。しかし行くのにボートに乗ったり虫に刺されながら歩いたりする必要はないし、宿もジャングルの中のロッジよりはよほど快適だ。熱帯雨林なるものを何の苦労もなく味わいたければ、断然シンガポールに行くべきなのだ。
というようなことは、シンガポールのガイドブックにもほとんど書かれていない。書いてあったとしても、シンガポール最高峰のブキティマの丘 (Bukit Tima Hills) のハイキングコースが載っているくらいで(3×3kmほどの緑地なので、15分くらいで登れてしまう)、一番広大なマックリッチー自然保護区は紹介されていない。綺麗な湖水(ただしダム湖)やせせらぎ、何時間も歩ける遊歩道群、聳え立つ樹木の先端を観察できると熱帯の各地で人気の吊橋タイプの遊歩道「Tree Top Walk」まであるのに。
行き方は簡単で、市内のどこででもタクシーを捕まえて、マックリッチーレザボワ(マックリッチー貯水池)と言えばよい。千円はかからずに来られる。バス路線ももちろん多い。降りたところはダム湖の堰堤の下で、それを上れば伸びやかな湖面の光景が、ビル街の雑踏に疲れたあなたを癒すはずだ。左右どちらに向かっても、しばらく歩くと湖畔に延々と巡らされた木道に入ることができる。左方向には非常に高い確率で、野生のサルの群れがいる。ただしお菓子や飲料を奪われないようによく気をつけよう。先方が強奪に来たのだとしても、野生サルに餌をやった罪に問われて罰金を取られる危険がある。
そこで帰ってももちろんいいのだが(帰りも堰堤下の幹線路まで出ればタクシーを拾うのは簡単だ)、湖畔を右回りに延々と歩き、さらに密林の中を進み、Tree Top Walk を制覇したり、小川を渡ったり、展望塔に登ったりしながら一周すると、どんなに健脚でも3時間以上はかかる。日中はジョギングで回っているアスリートも目立つ。途中には案内所などはあるが、入り口の公園以外には飲食物は何もないので、大きめの水のボトルと飴などは必携だ。さんざん歩けば、「もう当分熱帯雨林には来なくてもいい」という気分になれるだろう。
この自然保護区には、入り口の都市公園部分を除いて街灯はないが、犯罪などは心配ない。ある煌々と満月の照る夜、筆者は思い立ってバスに乗り、誰もいない湖畔の遊歩道をジョギングしてみたことがある。右に月明かりを反射して白く静まる湖水、左は真っ暗な密林繁る丘、平坦な木道はうっすらと浮かび上がって迷うことはない。人間以外に猛獣のいない、しかもその人間も相当に飼い慣らされて大人しいこの国の、飼い慣らされた自然環境の中で、それでも天空と一体化したような感覚を得られた素晴らしい夜だった。
第1位: サウスリッジ縦走 (South Ridge)
シンガポール赴任中の筆者がお気に入りで、それこそ毎晩のようにジョギングに出かけたラブリーな展望地、それが島の南西部に東西細長く走る標高100m前後の低い丘陵、サウスリッジだ。横切る幹線路で何パートかに分割されているが、東端でセントーサ島の対岸正面に当たるフェーバー山公園 (Mt. Faber Park) が、最も夜景の美しい場所となっている。
フェーバー山公園にはタクシーでも市街地から15分ほどで来られるが、脚力に問題なければ地下鉄東北線の終点、ハーバーフロント駅から北に、遊歩道か車道を15分ほど歩いても良い。標高はちょうど100mなので、大した登りではない。あるいはセントーサ島-ハーバーフロント駅横のビルの屋上-フェーバー山頂を結ぶスリル満点のロープウェー(非常に高いところを通るので高所恐怖症にはお薦めしない)だと、値段は高いけれども簡単に行ける。このロープウェーの終点駅には幾つかレストランがあるが、特に高級中華の店がお薦めだ。夕方から夜にかけては、北に市街地、南にセントーサ島やシンガポール港と、順に灯がともっていく絶景を味わえる。
その終点駅から西に徒歩5分の山頂にはマーライオンの像もある。有名な市街地先の海沿いのマーライオンや、セントーサ島にあって中に入れる巨大マーライオンに比べるととてもマイナーだが、展望は良い。その裏側からさらに西側に降りていく階段をたどると、尾根伝いに西へ西へと向かうハイキングコースになっている。夜通っても、こっちがカップルを驚かせるくらいが関の山で、治安に問題はない。
フェーバー山だけでも一見の価値はあるが、建築や土木の好きな人は絶対に見逃してはならないポイントが、その西側に尾根伝いに行った先にある。尾根を切り通しで南に越える幹線道路を東西にまたいで架かる木造橋、ヘンダーソンウェイヴ (Henderson Waves) だ。その形状はネット検索などで確認いただくと良いのだが、世界の名構造物(珍構造物?)の一つに数えていいほどのものだと激賞する人もいる。地上50mくらいのところに、湾曲し傾斜しつつ渡されている橋で、板の隙間から下は見えるし、手すりは低いしで、これまた高所恐怖症にはお薦めできないが、当地一のデートスポットとでも言おうか、スリルが絆を深めるという奴で、日暮れから深夜まで、多数のカップルが寄り添って座ってラブラブの時間を過ごしている。その横に野郎だけの集団がヒマそうにたむろしているのも世界共通の光景だが、当地にはナンパという習慣はないようで、彼らもただしゃべくっているだけのようだ。
さらにそれを渡って西に向かうと、ブーゲンビリアの群生する公園があり、その先にエレベーティッドウォーク(Elevated Walk)というもう一つの珍構造物がある。標高80mほどの地点から尾根伝いに麓まで、網状の構造のアルミの桁を組み合わせて造った空中歩道が、延長2km近く、森の中をうねうね曲がりながら緩い傾斜で下っていくものだ。網の隙間から10mくらい下の地面が見えるので、これまた高所恐怖症にはお薦めできないが、港湾地区の眺めを楽しんで快適に歩ける。反対側から登って来れば、知らない間に高度を稼げる素晴らしいジョギングコースだ。夜中の12時までLED照明が点いているので、歩くのには困らない。
さらにその先にはアレキサンドラアーチという橋、その先に国立の園芸展示館、その先にまたまた歩道と続いて、延長10数mのハイキングの末に最後はシンガポール国立大学のメインキャンパスまで行けるのだが、話はここまでとしておこう。
以上紹介した5つの地産地消型の資源、特に最後の2つは、ホテル発のエコツアーや、ウォイーキングイベントなどに存分に使えるものだ。シンガポールが、超近代的な未来都市としてではなく、自然溢れる生活文化都市としての打ち出しの可能性を自覚したときに初めて、これら資源を活用する流れも出てくるのだろう。
富良野・美瑛のパッチワークの丘の美しさが本州から移住した写真家によって初めて発見されるまで、地元民は誰もこれが魅力的だとは気付いていなかったように、日本の里山や棚田の美しさが滅亡寸前になってからようやく自覚されるようになって来ていることでも明らかなように、シンガポール人もいつか他所者の誰かさんのおかげで、ようやくそのことに気付くことになるだろう。その日まで、これら素晴らしい資源は、先に気付いたあなただけのものだ。