第二回 なぜシンガポールの街は緑に埋まっているのか

「なんと緑の多い街だろう」。当地を訪れた日本人の多くが最初に抱く感想だ。

だが、「熱帯だから緑も茂りやすいのかな」と考えるのは早計だろう。インドネシアのジャカルタや、マレーシアのクアラルンプールと比較しても明らかなように、幾ら熱帯だからといって、人口密度の高い都会の真ん中に緑が多く残されているということは、普通はありえない。むしろ腐葉土の分解が早く表土が薄いので、一度禿山になれば回復は難しいのが熱帯だ。

「こんなに緑が多いとは、この国の土地所有や都市計画の制度はどのようになっているのかな。木々の世話は誰がやっているのだろう」とお感じになった方は、一歩真相に近づいたと言えるだろう。

今回は、緑の問題を足がかりに、日本とは大きく異なっている、この国のまちづくりの基本条件に迫ってみたい。

街路樹帯・都市公園・自然保護区

東京23区ほどの大きさに500万人が住むシンガポール。人口900万人近い東京には及ばないが、大阪市周辺で同じ面積を取れば人口600万人、名古屋市周辺では300万人であることから考えても、近代都市としては世界有数の人口密度を持つと言える。にもかかわらず、東京はもちろん大阪や名古屋に比べても、随所に広大な緑地があるのには驚かされる。

旅行者の目に最初にとまるのは、何重にも植え込まれた街路樹の深い緑に埋まる、幅の広い道路網だ。前回も述べたように、空港周辺だけの話ではなく、人気のない工場地帯や港湾地区に至るまで、全ての主要街路の両側や中央分離帯に、道に覆いかぶさるほど繁った並木が整備されている。

並木と言ったが、よく見ると高木や竹類の下には低木や草花も植えられ、沿道が小さな生態系を形成している。日本のように数mおきにぽつぽつと木が植えられているというようなものではない。また主要な道路の交差点には、一般道同士であっても規模の大きな立体交差が設けられているが、そんな場所の高架橋の脇にまでびっしりと植栽がされているのは壮観だ。幹線道路を渡る歩道橋が多いのも当国の特徴だが(人口構成がまだ若いので、バリアフリーという考えはまだ余りインフラ整備の現場には浸透していない)、ほとんどの歩道橋の縁にはブーゲンビリアが植え込まれ、ピンク色の花(正確にはガクなので、通年散ることがない)が道に向けて垂れ下がっている。

この街路樹帯だけでも日本人からすれば公園と見間違えるほどだが、もちろん本当の都市公園も、市内(国内)各所にふんだんに整備されている。その横綱が、早朝から深夜まで無料で開放されている国立植物園だ。歩けば端から端まで小一時間かかる。他にも海岸沿い、ダム湖畔、丘陵地、団地の中などに無数の広大な公園があって、それぞれに民間投資のレストランなども整備され、多くが夜景の名所ともなっている。幾ら治安が良い国とはいえ、物陰だらけで警備員もいない深夜の公園を、女性が一人でジョギングしているのに出くわすと、こっちがどぎまぎしてしまう。

さらに都市公園とは別のものとして、散策路を巡らした自然保護区(国立公園)も、島の中央部を中心に幾つも存在する。密林の中を徒歩3時間、その間公園施設以外の建物は目に入らないというような散策コースもあって、歩いていると大都会の真ん中にいるとはとても思えない。一般にはボルネオあたりまで行かなければ見ることができないと思われている珍獣・ヒヨケザル(足の間にある膜を使って滑空する)や、マメジカ(大きなネズミほどのサイズの世界最小の鹿)など、多くの生物が生息している。熱帯雨林を空中から観察できるキャノピーウォーク(地上20mほどの高さに設置された細い吊橋)まである。

古来のままに残された原生林は、実はその中のわずか3×3km四方程度だ。急傾斜地であるがゆえに植民地時代にもプランテーション農場化試行の手が及ばなかった、国内最高峰(といっても標高170m弱)の「ブキティマの丘」周辺だが、この狭い範囲に生育する植物の種類は、北米大陸の全植物種の数の2倍にもなるというから驚く。

だが筆者のような素人の目には、それ以外の自然公園も同じような密林にしか見えない(一度はプランテーション農園や住宅地などになっていたものを、自然林に戻した空間だという)。中でもお薦めのスポットは、都心から15分ほどのマックリッチーダム湖畔と、北に30分のスンゲイブロウの沼地だ。前者には野生の猿が群れ、後者にはオオトカゲが這う。猿は肩に乗るほどのミニサイズだが、頭の毛がモヒカンのようになっていて迫力は十分、ニホンザル以上にずる賢い印象だ。オオトカゲは歯がない種類で人畜無害だが、体調2~3mくらいのがうじゃうじゃ群れているのは壮観。筆者は見たことがないが、後者の敷地内には、ナイルワニやフロリダクロコダイルと並んで人食いワニとして知られる、イリエワニも生息しているという。

以上、街路樹、都市公園、自然保護区と紹介してきたが、この3種であれば当然日本の都市にも存在する。だが以下に紹介する4番目と5番目の種類の緑地は、余り日本国内では見かけない性格のものだ。そこにシンガポールのまちづくりのユニークさがある。

市街地の只中に数多く放置された緑地

その4番目とは、多くの地下鉄駅前や、繁華街の只中に、丸ごと更地のままに放置されている区画だ。芝生が張られ(正確にはオオバコのような草が刈り込まれて生えている)、木が植えられた状態で放置されている。立ち入りは自由だが、公園のような散策路やベンチはない。真ん中に雨水の排水溝が通っていて普通には横断できない場合もある。数としては都市公園の何倍も多く、国内の一番館である高島屋の裏の小さな丘の上や、高級ホテルの並ぶオーチャード通り西半分周辺にもあるので、わざわざ都市公園や自然保護区には出かけない、繁華街を歩くだけの短期旅行者でも普通に目にすることができるだろう。

こういった空間は、東京であればとっくにビルや住宅になっている場所だ。特に、地下鉄アウトラムパーク駅の真上、国立病院正面向かいの広大な更地や、シンガポール最初の集合住宅が建てられたチョンバールー地区の地下鉄駅周辺の緑地などを見れば、都心に近く開発ポテンシャルも高い場所にこれだけの規模の更地(しかも平たく整地済)がなぜ残っているのか、奇異の念に捉われる人も多いのではないか。さらに進んで「公園でもないのに立ち入り自由になっているということは、一体誰の土地なのか」と考えると、真相も見えてくる。

さらに背景の分かりにくいのが5番目の種類の緑地だ。4番目同様に、繁華街の只中や住宅街の中に多数放置されている区画なのだが、4番目と違って柵で囲まれたりして立ち入りできないようになっており、かつ熱帯の木々が密林状態を成して生え繁っている。前記高島屋の裏にも、立ち入り可能な更地状態の緑地と並んで、よくみるとこの5番目のタイプの、木が繁るに負かされた立ち入り不可能の緑地となっている部分がある。最大の繁華街の一番館に隣接して、公園でもない密林繁り放題の区画があるというのはなんとも奇異なことだ。

この高島屋の横のものはごく小さな一角だが、これまた前述の国立植物園の西隣には、ほとんど植物園と同じ面積の密林がある。普通に通っているだけだと存在自体に気付かないだろうが、中に何か秘密の施設があるわけでもないのに柵で囲まれ(シンガポール国内各所には、一般人立ち入り禁止の広大な大統領官邸、軍事施設、刑務所などもあるが、これらとこの5種類目の緑地はまったく別物)、立ち入りはできない。日本大使館もある高級住宅街・ナッシム通り沿いにも、豪邸やマンションの間の随所に、同じく密林状態のままで立ち入れない区画が散在している。再び湧いてくる疑問は、「一等地を密林状態のまま放置しているのは一体誰なのか」ということだ。

さて以上、街路樹帯、都市公園、自然保護区、立ち入り自由な更地、市街地の中の立ち入りできない密林と、シンガポールを埋める5種類の緑地を紹介してきた。それらのうち最初の3種は、1965年の独立後早々「庭園都市」を掲げた政府が、30年ほどの間に一から整備ないし復活させたものだ。

特に街路樹について言えば、昔の写真を見る限り、当時の街路には今の日本と同じように申し訳程度の並木しかなかったことがわかる。それが今では全島の街路が公園化している訳で、管理には膨大な金額が投じられていると推測される。実際に道を走っていると、あちこちで作業員(その多くが東南アジアやバングラデシュから出稼ぎに来ている外国人男性)が樹木の剪定や植え替え、農薬散布などをしているのに出くわす。

だがもちろん、街路維持管理予算の確保だけでは、日本の街路を同じように緑に埋めることは不可能だ。幹線道路沿いにこれだけ分厚い緑地帯を整備するには、大規模な拡幅が伴う。日本なら用地買収だけで半世紀と国家予算ほどの資金が必要だろう。車線増とは別の緑地帯整備に、そこまでの資金と時間をかけることなどできまい。なぜシンガポールではそれが可能だったのか。

その秘密は「街路樹とも公園とも違う、市街地の随所に残された緑の更地」の存在理由とも重なる。シンガポールと日本の間にある、土地利用に決定的な差をもたらすある基本的な違いとは何か。

土地公有制ゆえに実現した都市計画の理想

答えは土地の権利関係だ。シンガポールの土地は8割が国有なので、国が開発を主導できる。街路拡幅も、土地の買収の必要も強制収用の必要もないので、ずっと容易だ。繁華街の中や地下鉄駅の横などに残された(公園ではない)緑地も、将来の開発や都市環境保全のためにリザーブしてある国有地。自由に立ち入れるが公園としての施設整備はされていないというのも、少ない予算で豊富な緑地を暫定的に提供できる仕組みだ。

ある高官に聞いた話だが、英国統治末期の自治政府の時代から、当局は土地の公有を目指して買収を急いだのだという。連載初回にも書いた通り当地は全土が農業に不適の痩せ地。各地で取り組まれていたプランテーション農園は次々に失敗して放棄されており、安価で取得できた。地質上水田ができないこともあり、土地に固執する小農民もいなかったという。幾つかの漁村集落も、買収と引き換えの街区整備を受け入れた。経済発展と人口急成長に先んじて当時の郊外地を押さえてしまったことが、現在の理想の都市計画の実現につながっている。

ちなみに国有地を開発する場合には、通常は99年の定期借地権を開発者に販売する形となる。国民の8割以上が住むという公設分譲集合住宅(通称HDB、日本のかつての住宅公団に該当するHDB=ハウジングデベロップメントボードが開発・分譲するのでこう呼ばれる)、もっと価格の高い民間マンション(通称コンドゥ、=コンドミニアムの略称)、商業施設、オフィス、ホテルなどは多くがこの形態だ。定期借地権を入札によって一括購入した後は、建物は開発者が建てて所有する方式なので(HDBやマンションの場合には個人に建物と定期借地権が再分譲される)、購入者側から一生のスパンで考えれば、土地を持つのと実質的に差はない。だが賃借権は99年後に消えるわけで(再度入札に勝ち定期借地権を買う道はあろうが)、土地が際限なく相続人の間で分割され未利用空間が発生するという日本のような問題は生じない。用途規制や景観規制、転貸制限などの都市計画規制も、土地所有者である政府が賃貸契約書に条件をつけることで、実効的に運用できる。狭い島に500万人が住みながら、広大な公園や自然保護区が確保できているのも、住宅の多くが高層化されているためだが、これも政府保有地での公設住宅供給なくしてはありえなかった。

ところで残り2割の私有地には、独立前から開発されていた旧市街地や郊外住宅地の一部、それに英国の進出前に当地を支配していたジョホールバル(シンガポールから北に1kmほどの幅の海峡を渡った先にあるマレーシア第二の都市)のスルタンが現在でも所有している土地が該当する。

ただしそれらの中でも、都心に残された歴史的な低層建築の街は、開発制限で保全されており、日本の町屋地区のようにマンション乱開発に晒されなどしていない。昔からの郊外住宅地には周囲を広大な庭や樹林に囲まれた豪邸が並ぶが、住んでいるのは余程の大富豪だけであり、その相当数は安心安全で税金も安い当地に移住して来た外国人だ。ちなみにこれら住宅の一戸当たりの取引価格は、筆者滞在中の不況期でも10億円を超えていた。稀にそうした一戸建て地区に高層マンションを再開発するケースがあるが、そうした物件の広告には、「フリーホールド」(=土地私有権付)と大書されており、人気も値段も高い。

最後にスルタンの保有地だが(彼はよく街中を運転手付の高級車で走っており、タクシーの運転手などは「あれがジョホールのスルタンだ」と教えてくれる)、これが5種類目の緑地=市街地各所に柵で囲まれて残る密林の正体だ。詳しくはわからないが、植民地化前からの所有者ということでシンガポール政府の権限が及びにくい面があり、固定資産税などは免除されているのではないか。またスーパーリッチな人物なので、開発を急ぐということもないのだろう。近代以前からの権威が非課税で所有する森というのは、日本でいえば神社の鎮守の森に該当する。市場経済原理の外に立つ、ある意味困った存在なのかもしれないが、その結果として緑地という外部経済が残されているとも言える。

それはともかく、国土の8割の国有地に加え、手付かずで保全されているスルタン所有地もあるシンガポールは、まさに司馬遼太郎が生前に唱えていた「土地公有制」を実現した国とも言える。同じことが日本でもできていれば、住宅や街路の貧弱さ、公園や緑地の不足、余りに統一感なき都市景観、郊外乱開発に市街地の荒廃など、なんと多くの都市問題が解決していたことだろうか。

町々の個性と人間臭さを残せるか

だがその司馬遼太郎が日本史の転換点として高く評価する鎌倉幕府はなぜ成立したのか。武装農民が、開墾した土地の所有権を貴族から取り戻すために団結したからに他ならない。身分制度に縛られた江戸時代の農民も基本は自作農だった。建国45年のシンガポールと、荘園の解体以降農地の私有が基本となった日本とでは、まるで状況が違う。

シンガポールにもたった一ヶ所だけ、昔のままに残された地区がある。島の北東部の交通不便な場所に、地図にも載らずに放置されている、カンポン・ロロン・ブアンコック (Kampong Lorong Buangkok) という集落だ。独立直前、あるマレー系の公務員が誰も住んでいなかった沼地に自力で小屋を建てたのが始まりで、以降その親戚や友人などが集まり、小さな村を成したものだという。当局による土地占有権買収→再開発を多年にわたって拒否しているため、街路は未舗装、家屋は手作りの老朽木造平屋建て。でも住民は、隣近所で助け合って暮らせるこの場所を誇りにしているらしい。その心温まる生活ぶりは、ユーチューブなどでも多数紹介されているので、ご興味のある方は検索されたい。私がジョギングついでに訪れてみた夜は、途中の道は真っ暗、たどり着いたら犬には吠えられ、外で三々五々涼んでいる住人には胡散臭い目で警戒されと、さんざんだったが。

振り返って日本を見れば、大都市の下町にも、地方都市にも、農村や漁村にも温泉街にも、こんな状態で放置されたままの集落や区画はまだ無数に残っている。逆に言えば、理想の都市のように整備されたシンガポールには、高層建築が林立し極めて美しく整備された地区も、保全された歴史的景観地区も、豊富な自然もあるけれど、秩序も何もない日本の町に一部残っているような、町ごと地区ごとの個性や人間臭さは乏しい。

超戦略的都市国家シンガポールが、ついに地区ごとの個性までを人工的に構築するのが先か。日本の町々が個性や人間臭さを保全しつつ都市計画的な秩序をも実現していくのが先か。せめてこの点だけは、日本の町々に先んじてもらいたいものだ。